ないものねだり。

障害があっても強く生きていきたい。

夕方

夕方
教育番組に出てる子供を見て、ふと
「あぁ、、いつかこの子供たちも薬をやる日が来るのかな」と考えが過る。
 
断薬してからというものなんにも楽しくない。日常に楽しさを見出せないでいる。
例えば薬を飲んでいた頃は、頭の中にぐるぐる言葉が巡って止まらなかったし、それが楽しくて考えることが刺激の一部になっていた。それに自分の意思だってもっと貫いていたと思う。
 
断薬してからの生活はただ流されるままで私らしくない気がして、嫌気がさす。
うまく言葉にできないんだけど、生きてるって言葉が日に日に薄れていくようで、私の存在自体も薄くなってこのまま消えてしまうんじゃないかなと思うことが増えた。
 
今の私は何にでも染まれる気がする。
拒否することなく、妥協を受け入れ染まれる気がする。
そんな自分は自分じゃないけれど、そもそも以前の自分の存在すら薄いから、今更消えてしまっても仕方ないんじゃないか。
 
これらを薬のせいにするのもおかしいのだけれど、薬以外の理由が思いつかない。
 
薬があったほうが良かったんじゃないか。その方が毎日に満足して生きられたんじゃないか。
どうすれば良かったのだろうか。
 
薬のせいではなく
ただ今は鬱であってほしい。と願う。
 

理解出来ない感情に説明などいらない

自殺未遂を何度も繰り返してきた

その度に、母からは「何故こんな事をするの」「もうしないってやくそしたでしょ」という私にとっては理解不能なことを何度も何度も言われてきた。

理由?

理由を申し立てたところで

理解できない人間に

説明する意味など私にはないと思っている

 

ただひとつだけ

「自殺未遂をしたときの生き返ってしまった感覚が忘れられないから」「生きてるな」と実感できるから

 

手首を切ったとき血を見て生きてるなと実感したいだけだ

 

人には理解できない理由

 

家族が泣いて私を責める時

私は、泣いた

その理由も、死ねなかったからだ

 

同情して泣いてはいない

 

家族が泣いてる姿を見て

わたしは何故泣いているのかわからずにいる

とりあえず泣いておけばいいのか

そうやっておけばいいのかと

学んだから泣く

 

 

2020.12.23


2020.12.22

昨日、東京が終わった
引越しをしてしまった
その翌日の今日私は鬱になった
もう逃げられない
もう東京には戻れないからだ
涙が出た
上京して6年の東京生活に終止符がうたれた
今とても辛い
わたしにはもう居場所がない
家族から地元から逃げ場がないからだ
それがどんなに苦痛なことか
誰も理解などできない
まだ私は東京という街に未練がある
久しぶりに鬱になった
死にたくて仕方なかった
でもなにもない田舎じゃ飛び降りることもできないし死ぬ方法がわからない
首吊りでもしようかなとも思った
家族が悲しんだって私には関係ない
やはり家族と住むのが辛くて仕方ない

私は、やり直すためにここにいる
でも私の好きな東京を奪われたら
私はなにも残らない
昔も同じことを言った記憶がある
「東京を離れて暮らすなら死ぬ」
他人からしたらバカな理由だ
たかが東京
私にとっては東京は生きる意味

後戻りはできない
わかっている
だけれどわたしは死にたい

家族と離れたい
いくら実家を離れて暮らすとしても
手の届くところには家族がいて
自由などないから

これから生きていく限り
家族という呪縛が付き纏う

実家にいる私は
家族に対して気丈に振る舞っている
それに気づいていない家族がいる
私の居場所を返して欲しい
私のいるべき場所を返してよ

私は東京に居ても、地元に居ても
結局変わらないだろう
ただ死ぬことだけを考えるのだろう
それが目に見えている

ここでは私の好きな芸術にも触れられない
そんな辛いことはない

周囲は私が変わるとでも
本当に思っているだろうか

東京で死にたい
私はそれ以外望まない

こんなところでのんびり暮らすことが
幸せだなんて思えなかった

なにもできないから
それならせめて東京で死なせてはくれないだろうか

無題

数ヶ月振りに息を引き返した。
平穏な日常を取り戻したが、なにから手をつけていいか分からずにいる。
生活とは、日常とは、どう送るのが正しいのだろう。
例えば、洗濯をするとか掃除をしてみるとか当たり前の事なのにそれが出来ずに終わる日を私は何度も重ねてきた。
今日は何をして過ごしたのか考えたが、胸を張って言える生活ではなかった。
 
夜、友達と電話をしても、私は話す事柄が無いから、ただ友達の話を聞く事しかできない。だから友達にはきっと、私はつまらない奴だと思われたに違いない。
 
思い返せば、人に認めてもらえるような、「何か」を達成した試しがない。
人から認められたいが、認められる事を諦めているから、自分で自分を認めていくしかないのだ。そうやってどうにか自己肯定感や自己満足を身につけようとしたが長続きせず、挫折するたび自信を無くした。
わたしには、少しのプライドもない。
こだわりもとくにない。
貫きたい意思もないし、私自身の存在も薄いように感じる。
そういう面倒なものは、無い方が楽だと思っていたからだ。そして、そういう面倒な私のプライドやこだわりは、周りの人を傷つけ困らせてきたからだ。本当はプライドやこだわりがないと言いながら、未だに消せないちっぽけなプライドはあるし、意思も存在するのかもしれない。ただ私のプライド、意思、こだわりは、他人を泣かせ、困らせて私を苦しくさせるものだから、何にも無い人間になりたい。
平穏な生活を手にしたいと言いながら、本音を言えば、平穏など要らないし、安定などできる人間ではない。
自分の幸せと、周りから見た私の幸せとが一致する日が来ないような気がする。
自分の幸せを追い求めつづければ、周りの人は私を不快に思い、嫌悪感を抱くに違いない。周りの人を幸せにする事を選ぶならば、自分のこだわりやプライド、意思を偽り生きていく事しか今の私には選択肢がない。
自分の幸せを望むか。
それとも、自分の幸せより周りの幸せを望むか。
私の意思を殺して生きていく事が出来るのだろうか。
周りの人を傷つけ困らせてまで、自分の道を貫けるだろうか。
わたしはどちらかしか選べない。
選ばなければならない。

苦手な言葉

後悔しないように生きろ、という言葉が苦手だ
何度この言葉を人から言われてきたのだろう
何度この言葉が私を苦しめただろう
まるで後悔した生き方が、罪のようにのしかかるようだ
後悔した生き方は罪なのだろうか?
後悔しない人間は存在するのだろうか?
 

私はこの言葉を前向きになど、捉えられない
 

24年間生きてきた中で
後悔したことがいくつあるだろう
それを全て否定的に捉えていたのだろうか
後悔しないように生きようとして
自分を変えてみる努力をして
結果変われずに挫折したことを
思い出す
挫折するたびに
自分の存在を否定し
後悔しないように生きようとしたことすら否定した
だったら最初から、後悔しないように生きようなんて言わなければよかった
わたしには変わろうと努力する間のメンタルの強さが備わっていないのに、それをどこかでわかっていながら
無謀にも変化を求めてしまったことが
一番の後悔だ

無題

いつもは丁寧にする歯磨きを今日は雑に終わらせた。
丁寧に磨くほど、丁寧な今日を送れなかったからだ。
お風呂に浸かることすら億劫になって入るのを諦めた。
わたしの生活には、たまにこういう何もしたくない日があって、それが今日だった。
 
ベッドに寝転がりながらこれからのことを考える。
「自分がわからない」「どうすればいいのか」と嘆くことが増えた。
そんな言い分が通じたのは20歳までであって、今の私は、20歳のまま止まっている。
結局、今の自分を「正しい」と認めて欲しいだけなのだから。
自分が認められればいいんだけれど。
 
わたし、まだ、夢から覚めたないんだよ。

liberté

真っ白な壁
青いライトが足下を照らす
ギコギコと音を鳴らす急な階段
通り過ぎてしまうほど小さな店がそこにあった
私を虜にした空間
気づけば週末には必ず通った
 
一日の客の出入りなど
数えるほどしかいない
古着を買うことはない
ただ店員とくだらない話をしにいくだけ
 
それでよかった
そのままでよかった
あのゆっくりと、ひたすら流れる時間を失った。心もあの時間のまま。流れることはなく、とどまったまま。
あの夢のような時間に溺れていたいの。