ないものねだり。

障害があっても強く生きていきたい。

摂食障害について

私は身体障害(心疾患)、境界性パーソナリティー障害とADHD、そして摂食障害過食嘔吐)と診断を受けています。

身体障害は生まれつきです。

他の精神疾患は22歳の頃診断を受けました。

今日はその中の摂食障害について話します。

 

摂食障害と言っても私は主に過食嘔吐のみです。痩せたい気持ちと食べたい気持ちで初めて吐いた時の爽快感と食べた罪悪感がなくなるあの感覚をいまもわすれません。そこから約8年経ちました。

今の精神科に通い始めて2年。

主治医のおかげで社会復帰でき睡眠薬コンサータなどの断薬もできました。

もちろん自傷行為も一年半やらずに生きられています。

断薬も出来たし、次は過食嘔吐を治したい。

そう強く思い始めても中々治すことができない。主治医は今いきなり辞めなくてもいいと言ってくれましたが私は心から辞めたかった。体もボロボロで心も不安定で、今のアルバイトの仕事に支障をきたしていました。

ストレスで仕事から帰るとお菓子やコーラや菓子パンを買い食べて吐くのが日課でした。

体調が悪い中仕事をしなければならないのが辛かった。仕事をしている中での責任感が芽生えて簡単には休めない。だから私は変わりたいと思いました。

 

変わるきっかけはインスタで見たあるトレーナーの投稿です。「食べて痩せる」という魔法の言葉。「お米は太らない」「糖質は取らないと痩せない」その言葉を信じてみようと思ってその日から始めました。ご飯は3食食べる。白米は150g測ってあとはPFCバランスを考えた和食定食にしました。勿論お菓子や甘いものは食べない。

 

これらを守り約2週間経ちました。

2週間でわたしは太るどころか1.5キロ減り驚いています。痩せたい気持ちより体を健康に保ちたいと思えるようになりました。食べることが心から楽しい。今まだ2週間ですがそう思います。あの日から一切吐いてはおらず、体調が人生で一番いいです。

体型にこだわったり完璧主義なところは変わりませんがそこは筋トレでカバーしています。

 

こんなに簡単に8年の呪縛から解放されました。

バランスよく食べると甘い物も発作なくなり衝動もなくなりました。

今までの自分じゃないようです。

きっかけが何であれこんなに簡単に抜け出せるとは思っていなかった。人とご飯を食べるのがこんなに楽しいなんて思わなかった。

主治医にはまだこの話はしていないので次回の診察で話そうと思います。

 

摂食障害は一番死に近い病といっていたのを思い出しました。辞めようと思うと辞められない。だから完全に辞めるじゃなくても今日この食事だけは吐かないとか吐いても仕方ないと思える行動できるようになったらそれは前進してると思います。

吐いてもいいし過食してもいい

意志じゃどうにもならないし

仕方ないよねくらいで最初は考えられたら

いいと思う

 

最近のこと

久しぶりにブログを書いています

気づけばもう2024年

最近の私の現状をここに記録します

 

精神的には変わらず鬱と躁を繰り返してますが自傷はせず精神科にも月一で通っています

 

去年の冬から新しいことにチャレンジしました

転職活動をするために人生2回目の運転免許を取るために教習所に通い始めました

2回目というのは私の不注意で失効したからです

 

そして無事にこの2月に教習所を卒業しました

あとは試験のみ!

これが受かれば免許を取得できます

 

寒暖差が激しく体調もおかしくなってますがなんとか生きています

痛みなんて忘れなければいい

腕に残ったリストカットの痕も

体に刻まれている無数の絵柄も

オーバードーズをして飛び降りた時の衝撃だって

全ての痛みを鮮明に覚えていたら

わたし、いま、少し、楽になれる、

痛みを忘れるなんて罪だ

今痛みを思い出せたらもう少し生きていたいとか、そう思えるのだろうか

あの時の苦しみに比べたら

今の心の痛みなんて全然辛くないと思えるだろうか

2023.10.3

この二週間ハローワークに通っている

転職活動をしているからだ

私は今転職活動なんてやらなければよかった

そう思っている

何故なら転職活動をする度に

心を病んでしまうだ

具体的に話すと長くなるのだが

自分が精神疾患持ちなんだと

自覚せざるを得ない場面が多々あるからだ

世間とのズレや人間関係への不自由さを

再確認してしまうからだ

認めたくない現実を突き付けられるたび

私は途方に暮れた

こんなに心が辛いのなら

自分と向き合うことをしなければよかった

そもそも人に傷つけられることが

怖い癖にあわよくば人と仕事をしようなどと

思ったことが間違えだったんだ

何故私は自分から自分の心を

病ませにいったのだろうと

 

私は今何のために転職活動をしているのだろうか

その原動力さえわからなくなっていった

安易な考えでやるべきものではなかったし

私には転職活動そのものの

ハードルが高かった

 

主治医や家族は転職に対して前向きではないことも知っていた

新しい環境に私が飛び込むことで

良くなりつつある精神状態が

悪化するのではないかと懸念しているからだ

主治医にも母にも

今はバイトを適度にするだけで良いと言われている

心が安定するのならそれでいいという考えだ

だが、私はいつも同じ壁に突き当たる

「本当にこのままでいいのか」

「周りは仕事より先の未来も叶えているのに」

周りと比較して何度も夜泣いた

 

今私は途方に暮れている

現状維持は難しい

でもわからない

心を壊してまでこんな事する意味があるのかと

 

2023.9.23 普通の暮らしが手に入ったのに何故満たされないのだろう

裏の世界に戻った方が私らしいのかもしれない。逃げ道をまた考えてしまう今日。数年前より確実に回復している。それなのに何故もどかしい気持ちになるのだろうか。

人には言えない過去のような世界に戻って生きた方が私らしいのではないか。私は普通に生きるのに向いていないんじゃないか。普通の幸せは私には辛いものなんじゃないか。

どちらの世界にいても私は満たされない。何故か求めている。あの時の地獄のような日々を求めている。私らしかったと思うから。

今の私は目の前の出来事や人と向き合えているのだろうか。このまま生きていていいのだろうか。毎日そんなことを考えている。

どうしたらもどかしく無く聡明な気持ちで今を生きられるだろう。そんなこと無理だとわかっているけれど、痛くて危う、そんな私が私は好きだった。

死ねて偉いなんて思っちゃダメですか?

自ら命を終わらせる事は悪い事なの?

また1人知人が亡くなったことを知って、私は率直に「死ねて偉いね」なんて思ってしまう。

今声をかけれるならそう声をかける。

 

自死してはいけない明確な理由を私は知りたかった。なぜ人は生きなければならないか親に聞いても答えが漠然としていて納得できなかった。

 

「周りの人が悲しむから」という答えに疑問を抱くばかりだった。私の人生は私のものなのになぜ死ぬことは許されないのか。

 

こんなこと言ったら不謹慎みたいに思われがちだが、それでも私は生きるのが辛くて死を選び実行できた人を褒めたいとすら思う。

戻りたいと思うことは悪か

 

病んでしまう時

人生がうまくいかない時

なにもかもがどうでも良くなる時

今を投げ出したくなる時

どうして私は過去を振り返って泣くのだろう

過去に戻りたいと願うのだろう

過去に戻りたい

私は過去を美化している

そんな綺麗なものではなかったのに

今より残酷なものだった

精神も今より不安定だった

周りを傷つけて

自分を傷つけて

なにも大切にできなかったのに

 

一つ言えるのは、人間らしかった

生と死を感じれたと思う

 

死にたいと言ってみたり、生きたいと言ったり、ただ目の前の現実を生きてもがいていた

ただ楽しかった

一瞬一瞬鮮明に記憶できるほど濃い日々だった

 

今の私の生活にそう感じれる日々はない

ただそれは歳を重ねたからという理由だけで終わらせるには寂しい

過去のような日々を求めているわけでは無く、単純にあの頃を超えるような人との出会いや経験はできないと確信している

今の方が幸せなのに、心はあの頃と同じくらい寂しく冷めているようで、なにか生きている証が欲しくてたまらない。