ないものねだり。

障害があっても強く生きていきたい。

無題

数ヶ月振りに息を引き返した。
平穏な日常を取り戻したが、なにから手をつけていいか分からずにいる。
生活とは、日常とは、どう送るのが正しいのだろう。
例えば、洗濯をするとか掃除をしてみるとか当たり前の事なのにそれが出来ずに終わる日を私は何度も重ねてきた。
今日は何をして過ごしたのか考えたが、胸を張って言える生活ではなかった。
 
夜、友達と電話をしても、私は話す事柄が無いから、ただ友達の話を聞く事しかできない。だから友達にはきっと、私はつまらない奴だと思われたに違いない。
 
思い返せば、人に認めてもらえるような、「何か」を達成した試しがない。
人から認められたいが、認められる事を諦めているから、自分で自分を認めていくしかないのだ。そうやってどうにか自己肯定感や自己満足を身につけようとしたが長続きせず、挫折するたび自信を無くした。
わたしには、少しのプライドもない。
こだわりもとくにない。
貫きたい意思もないし、私自身の存在も薄いように感じる。
そういう面倒なものは、無い方が楽だと思っていたからだ。そして、そういう面倒な私のプライドやこだわりは、周りの人を傷つけ困らせてきたからだ。本当はプライドやこだわりがないと言いながら、未だに消せないちっぽけなプライドはあるし、意思も存在するのかもしれない。ただ私のプライド、意思、こだわりは、他人を泣かせ、困らせて私を苦しくさせるものだから、何にも無い人間になりたい。
平穏な生活を手にしたいと言いながら、本音を言えば、平穏など要らないし、安定などできる人間ではない。
自分の幸せと、周りから見た私の幸せとが一致する日が来ないような気がする。
自分の幸せを追い求めつづければ、周りの人は私を不快に思い、嫌悪感を抱くに違いない。周りの人を幸せにする事を選ぶならば、自分のこだわりやプライド、意思を偽り生きていく事しか今の私には選択肢がない。
自分の幸せを望むか。
それとも、自分の幸せより周りの幸せを望むか。
私の意思を殺して生きていく事が出来るのだろうか。
周りの人を傷つけ困らせてまで、自分の道を貫けるだろうか。
わたしはどちらかしか選べない。
選ばなければならない。