ないものねだり。

障害があっても強く生きていきたい。

なにも与えないでよ

いつまで想い出に縛られて生きていくのだろう。私は今でも想い出に置き去り。想い出は残酷なものなのだと思う。

 

憎みきれたらいいのに。

憎みきらせてくれないなら、最初から私に何も与えないで欲しかった。

 

私はいつまで想い出に縛られて、貴方を思い出して悔やんで泣くのだろう。会いたいと願ってしまのだろう。どうして憎みきれないんだろう。消したはずの過去はいつまで私に付き纏うだろう。泣いてしまうのをやめたいのに。

 

 

2023.3.1

昨日から急に気持ちが落ちている。久しぶりのこの感覚に戸惑って眠れなかった。気持ちが落ちると全てがどうにでもよくなるこの現象に名前をつけたい。毎日が充実しているはずなのに気持ちの浮き沈みが激しいのが境界性の怖いところだと思う。

死にたくも無いのに「死にたい」といってみたりする。「死にたい」なんて今言いたく無いのに病む時は口癖のように言ってしまう。私はなにがしたいんだろう。なんのために頑張るのだろう。頑張っても何故報われないんだろう。なんで死にたいとか言ってんだろう。なんで完璧には病気は治らないんだろう。答えなんて求めてはいないのに心が疲れてはそんな事を考える。明日はどういう精神状態で仕事しようか。

 

嬉しかったことと最近のわたし。

気づいたら年明けから2か月弱経過した。

今年の目標は「転職して正社員になる」と決めていた。

まだ2月だが今月は毎日転職の事で何度もハローワークに行き転職活動に力を入れた。

普段の仕事をしている時もそうだが今の私は少し前の自分とは見違えるほど毎日を全力で生きていると思う。

 

面接では面接官に質問をされる中で、「前向きだね」と言われたことが嬉しくて忘れられなかった。前向きだと思ったことも言われたこともなかったからだ。ましてや一年前までの私は毎日「死にたい」としか考えていなかった。

 

今まで「死にたい」としか考えられなかった自分が前向きに生きれているんだと認識できた瞬間、面接のことを忘れて泣いてしまいたかった。嬉しくて人にやっと存在価値を見出せてもらえたようで、生きていることをようやく認めてもらえたようで、本当に心から嬉しかった。

 

自殺未遂を繰り返して精神病棟に何度入院して母親にはたくさん迷惑をかけてきた。「なんで私なんか産んだの」、「お母さん私を殺してよ」そんな言葉を浴びせてきてしまった。

あの時私を見捨てないでくれた母親に感謝しかないと思っている。

 

この転職がうまく行かずとも私は今の仕事が好きだから全力でこれからも毎日を生き続けたい。

無題

病んでいた頃の文章を読み返すと、あの時の苦しみを思い出して泣いていた。どの文章を読んでも私が人に対して求めていたのはただ「認めてもらいたい」ということだけ。それがひしひしと伝わる文章にただ虚しさを覚えた。昔ほどではないが「認めてもらいたい」という気持ちは未だにあると自覚している。でもあまりにも必死にそれだけを伝えようとする拙い文字に、なんとも言えないものが込み上げてきた。結局あの時私の周りにいた人はみんないなくなっていた。与えてもらってばかりの若かった自分が愛おしく思える。そういう感情を経て今があると思うとあの時の寂しさや孤独感を忘れたくないし、お金では買えない経験を沢山したと思う。そんなことを思い出した夜だった。

無題

何故だろう

 

あの子の事が心から大事だったのに

あの子といる時の私は弱くなっていった

 

あの人との日々は幸せだったはずなのに私は心を病んでいった

 

死んだあの人は大切な存在だったのに一緒に生きるのは選べなかった

 

でも今はそばにいる君のおかげで強くなれた

 

なにがちがったんだろう

 

今強くなれているのは確かに君に出会ったから

 

昔の私とは別人みたいだ

厄介なこと

新しい仕事を始めてから3ヶ月くらい経っていた。慣れ始めた頃からミスが増えていて今日も立て続けに予期せぬことが起きてしまった。

仕事中なのに自分を責める度に気持ちが落ちていって、なんでこんな簡単なことが出来ないんだろうと考えてしまう。

 

境界性の病気は怒られることが本当に無理で、相手が怒って言っていなくても、怒られていると捉えてしまうから厄介だと思う。

 

そういう状況の時今でも乗り越え方がわからないから、今度先生に聞いてみようと思った。

 

一個でも否定されたら、自分の存在全てを否定されてると捉えてしまう。

今まで積み重ねてきた努力や自信もその一瞬でなかったことになってしまう。

 

だから私は怒られることをなるべく避けながら生きている。